女芸人No.1決定戦THE Wなど、今まで男性よりだった芸人界も昨今、女性にスポットが浴びる機会が増えてきたように感じます。
バレエティ番組の女芸人枠っていうレギュラーって、今は結構当たり前に言われていますが、女芸人という言葉をメジャーにした立役者はオアシズ光浦靖子さんだといって過言ではないのでは?
そんな光浦靖子さんですが、今は実妹の家で居候生活をしているそうです。
売れっ子女芸人だった光浦靖子さんに何があったんでしょうか?
気になったので調べてみました。
女芸人という言葉をメジャーにした先駆者
光浦靖子さんは、愛知県田原市出身で1971年5月20日生まれのA型です。
幼馴染だった大久保佳代子(1971年5月12日生まれ:O型)さんと1992年にお笑いコンビオアシズを結成して、めちゃ2イケてるッ!など数多くの人気番組に出演して、人気となりました。
相方の大久保佳代子さんは、一時期芸能活動を休止していたので、めちゃイケに復帰するまで光浦靖子さんがピン芸人だと思っていた人も多かったんじゃないでしょうか?
光浦靖子さんと言えば、本が大好きな文化系芸人のイメージが今は強いですが、めちゃイケに出演していた時はかなり体を張ってましたよね。
個人的に大好きだった企画めちゃ女日本プロレスで、若手のアイドル相手にプロレス技をかけたり、かけられたりとけっこう本気でやっていたので、見る側は楽しめたんですけど、やってる本人は仕事だといえども辛いんだろうなと思って見ていたのを思い出します。
が、実は光浦靖子さんは大のプロレスファンだったという話もあるので、企画が自身の代名詞となったことで、大人気番組の貢献もできていると嬉しく思っていたときもあるかもしれませんね。
どちらにしても体を張る企画ではあるので、年齢を重ねるにつれ辛かったのは間違いないでしょうね。
料理上手で手芸の腕はプロ級!
光浦靖子さんは、家庭的で料理上手としても有名ですよね。
テレビ番組で男性を家に迎えてもてなしをして、真の女子力を見る企画では、1SLDKの自宅を公開していましたが、部屋の中も掃除が行き届いていて、急遽リクエストされた料理も相手の味の好みを聞いて、それに合わせた料理を手際良く作ってました。
その様子を見ると、普段から料理してるんだなぁとわかりましたし、光浦靖子さんも料理が好きで、小料理屋をやってみたいという話もされていました。
その番組内でも、得意のニードルフェルトで2時間あまりで指人形を作ってみせるなど、手芸の腕前も披露していました。
手先が器用な人を集めたら偶然ブスばかりだったという自虐ネタとともに、ブッス!手芸部という5人組の手芸集団を立ち上げて、部長としてTwitterに作品をよく投稿しています。
また、光浦靖子さんのインスタグラムには、手芸作品がよく投稿されますが、本格的な物から芸人さんらしく、ネタ系のものまで幅広くありますが、完成度の高さに驚かされます。
完成度高っ!!
有名人の人形の顔は、洗顔ものまね師のゆりさんの作品に激似ですね。

居候している妹夫婦の家の間取りは?
女芸人の代名詞として一時代を築いた光浦靖子さんが、家なき子になり妹夫婦の家に居候しているというのはどういうことかというと、海外留学と今話題のウイルスが関係しているそうです。
光浦靖子さんは、自分を見つめ直すために旅をしようと思っていたらしく、2020年4月から短期でカナダのバンクーバーに留学するために、2019年末から準備をしていました。
バンクーバーといえば、オリンピックが開催された都市でしたよね?
最近あまりテレビでも見なくなったと思ったら、計画的に仕事を調整していたんですね。
留学先も決まり、カナダで住む家も準備ができて、今まで借りていた賃貸の契約も終了して、家財道具も倉庫に預けて、さあ準備万端っとなった矢先に、緊急時代宣言発令で留学できない状況となりました。
住む場所もなくなり、困っていた光浦靖子さんに救いの手を差し伸べたのか、妹夫婦だったんですね。
留学後に帰国した後は、しばらく妹夫婦の家に住ませてもらい、新しい家を決める予定にしていたそうなので、時期が早まっただけで、妹夫婦としてはそもそも心の準備ができていたのかもしれませんね。
光浦靖子さんは、妹夫婦の家に居候していた状況を自分の部屋の上を誰かが歩いたら、音ですぐわかるというふうにおっしゃっていました。
ということは、妹夫婦の家はマンションではなく、1軒屋ではないかと推測できます。
しばらく家に住めばいいと、言ってくれるくらい姉妹仲も妹家族との関係も良好なんですね。
光浦靖子さんは、居候といえども料理は作るし、掃除もしていたそうなので、妹さんとしても家事は結構助かっていたんじゃないでしょうか?
まとめ
緊急事態宣言の影響で、止む無く家なき子になっていたという光浦靖子さんについて調べてみました。
妹夫婦の家には2ヶ月半ほど居候していたそうなので、いまは自身の部屋を契約して住んでいるんでしょうね。
集中して手芸アートに取り組んでいるんでしょうか?

今回急遽キャンセルとなってしまった留学ですが、光浦靖子さんは自身の人生を見つめ直すきっかけの一つとして考えていたそうです。
2020年は、将来全世界で変革の年となったといわれるでしょう。
しかし今後、ますます私たちの生活も変化していくことになるんじゃないかと想像しています。
変化に対応する柔軟な心構えとスピードが必要になってくると思います。
では、最後まで見ていただきありがとうございました。
コメント